大聖寺

春ならば、長流亭から望む旧大聖寺川の暗い川面に浮かぶ夜桜。
秋ならば、うっすらと雪をかぶったように咲き乱れる実性院の萩。
その桜や萩にどこか気品が漂うのは、大聖寺という町の奥行きが関わっているからかもしれません。
遠く「えぬの国」から始まり、一向一揆の民による「百姓の持ちたる国」を経て、
加賀藩第三代藩主・前田利常の三男利治を藩祖とする大聖寺藩が誕生。
以来、明治期に至るまでの二三〇年間、錦城山の麓には藩邸や武家屋敷、その東側には鍛治町鉄砲町など職人の町、
南側には町の防備も兼ねて「山の下寺院群」を配置するなど、町割りのしっかりした城下町が置かれました。
そこには小振りながらも加賀百万石を彷彿とさせる風雅な文化圏が育まれたのです。
その文化の代表格が九谷焼。藩の施策として始められた九谷焼ですが、
絵付けの号際な筆致や鮮やかな色彩には高い芸術性が見られ、
古九谷から再興九谷に至るさまざまな謎を秘めた九谷焼の魅力が「石川県九谷焼美術館」で堪能できます。
また大聖寺は、『日本百名山』の著者として知られる深田久弥の生誕地でもあります。
晴れた夕暮れには「美しいものの究極」であると評した薔薇色に染まる白山が瓦屋根の上に鎮座する町。
久弥が愛してやまなかった大聖寺は、素朴な自然と人情が生き生きと息づく町なのです。