加賀とは?
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加賀の伝統産業
大聖寺からの白山
現在、全国的な知名度を誇る加賀市の伝統工芸は九谷焼と山中漆器だが、最も古い歴史を持つのは織物である。その起こりは和胴年間(708〜714)と伝えられ、中国からの渡来人によるものという。夏の高温多湿、冬の豪雪といった加賀の気候は、風合いのよい上質の絹織物を生み出した。大聖寺藩の産業振興政策により加賀絹の産地として飛躍的な発展を遂げた織物業は、今日も商品開発を重ねながら加賀の主要産業の基盤を支えている。また藩政期には、一部の地域で紙漉きも行われていたようだが、これは残念ながら途絶えてしまっている。
九谷焼(古九谷)
色絵滝二双鳥図隅切角皿(古九谷)
さて、加賀藩前田家の歴代藩主がそうであったように、美術工芸をこよなく愛した大聖寺藩主たちによって大きく花開いたのが、九谷焼と山中漆器だ。江戸時代初期の明暦年間(1655〜1660)、大聖寺初代藩主・前田利治は、領内の九谷村に陶石が出たのを機に、この地に色絵磁器の窯を開かせた。命を受けたのは、肥前有田で陶磁製造技術を学んだ後藤才次郎。紺青・紫・黄・緑青・赤の五彩の絵具で、豪快華麗に描かれた色絵が強烈な個性を放つ焼物。これが後世に高い芸術的評価を受ける“古九谷”だった。
九谷焼(再興九谷)
百合図平皿(吉田屋窯)
古九谷は40年ほど続いたのち姿を消すが、江戸時代後期には商人の吉田屋伝右衛門によって、山代に吉田屋窯が開窯。以降、九谷の技は広く加賀藩領内にまで広がり、加賀では山代などで見られる個人窯への流れとなる。九谷焼の芸術性の高さに惹かれた趣味人の北大路魯山人が山代にしばし逗留し、個人窯で九谷を学んだという逸話も有名だ。
山中漆器
山中漆器
山中漆器は、戦国時代の天正年間(1573〜1592)、ろくろ技術を持つ木地職人によって越前から加賀の地に伝えられた。元来はただの白木の生活雑器だったが、江戸期に漆塗りや蒔絵、糸のような細い線で木地表面に模様を付ける加飾挽きなど、高度な技術が考案されてからは、美術工芸品としての名声をえた。昭和中期からは、輪島、会津と並ぶ全国有数の漆器産地に成長している。
なお、九谷焼、山中漆器は、経済産業大臣により「伝統的工芸品」に指定されており、100年以上にわたり受け継がれてきた技術の歴史的価値と、手仕事の素晴らしさを伝える重要な工芸品としても認められている。