VOL.40 『昔から今へ、山村の風景』 E.M
加賀市山中温泉西住町


「むかーし、むかし、ある所に御爺さんと御婆さんが・・」で始まるお話に出てきそうな山深い小さな村。山中温泉を通り過ぎて、我谷ダムからさらに進んだところに点在する山村のひとつで私の両親は生まれました。新緑がまぶしい5月のある日、私は母とともに、その生まれ故郷をたどるドライブに出かけました。
近年は「九谷ダム」建設によって道も整備され、昔のように運転が怖いなあと思う事もなくなりました。「古九谷窯跡」を過ぎてしばらく車を走らせると左手に「西住上人の霊碑」が見えてきます。「千載集」などにもその歌が鑑られる歌人であり、また西行の諸国行脚の同行人としても知られる西住は、この地で西行と別れて西住村(さいじゅうむら)に永住したと伝えられています。母は今は地図上から消えてしまったこの西住村の出身です。現在は村の痕跡はどこにもみられず、西住上人の霊碑のみが残っています。本当に西住上人がこの地で亡くなったのかは定かではないらしいですが、母たちはもちろん固く信じています。
さらに車を走らせると杉水(すぎのみず)という小さな集落にでます。ここが父の出身地です。ここには、かなり古いですがちゃんと人が住めるような民家がまだ数軒残されています。4月から11月の土日祝には古民家を改築して店舗にしている「蕎麦工房 権兵衛」という蕎麦屋さんも営業していますし、夏場は結構にぎわいます。かつてこの周辺の村々の子供たちが通っていた小学校の跡地は、今は草が生い茂っています。「ここが教室、ここには運動場があったよ。この裏山でよく遊んだよ。」母が懐かしそうにつぶやきます。
今から半世紀前にはたくさんあったこの山間部の村々も、今では数えるほどになってしましました。でもこうしてかつて
の集落をたどると、西住村や九谷ダムの建設によってダム湖の底にしずんだいくつかの村々にも、人々の小さな暮らしが確かにあったのだなあと思います。近年、杉水地区や大土地区などで古民家を保存、再生しようという動きがでてきています。日本の中でも失われつつあるこの山村の風景が、この地にいつまでものこされ、後世に伝え続けていければ、と思います。
(2007.5)