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TOP > 加賀四湯紀行 >歳時記 > vol.34 『山代の「お光」鏡花と新内でよみがえる』vol.34『山代の「お光」鏡花と新内でよみがえる』
山代温泉の専光寺には「太鼓の胴(たいこんど)」という伝説が伝わっている。時打ち太鼓の堂守り幸蔵と、湯女のお光との純愛悲話である。このお光という名、じつは郷土の文豪、泉鏡花の「みさごの鮨」に女中となって登場する。鏡花は金沢にちなんだ作品を多く残しているが、短編「みさごの鮨」は山代温泉を舞台にしたものである。おそらく鏡花は、この「太鼓の胴」伝説を知っていたのだろう。
山代温泉にゆかりの人物といえば、歌人の与謝野鉄幹・晶子、また異才・北大路魯山人が思い浮かぶが、泉鏡花が山代を書いていたことは、旅館主の山下拓治さんから教わるまで知らなかった。まったくお恥ずかしい。山下さんがくれたワープロの本編をさっと読んでみると、そこには、無骨だが実直で、けなげな女中「お光」をとおして、大正時代の山代の人情や町の風景が描かれている。今の旅館とは違い、素朴でほのぼのとした温泉宿の日常が伝わってくる。
さて、この「みさごの鮨」を題材にして、新内語り「山代お光」が、このたび発表された。仕掛け人は、やはり旅館主・拓ちゃん。新内の中でも文芸派、岡本派の岡本紋弥さんに作ってもらった。わずか数ヶ月での完成である。これも日頃からの付き合い、洒落者拓ちゃんの交友関係のなせる技。
この「みさごの鮨」とはいったい何か。新作「山代お光」の中に、分かりやすくこのように出てくる。
「そも、みさごの鮨の謂れとは、磯に落とした餌ざかなを、水鳥みさごが見失い、浪に洗われ旨味を増して、見た目わるいが、美味いもの。女房に持てば、末代までの誉れ」「目鼻立ちより、丈夫が取柄。働き者で人情厚く、心根よしの山代お光」
ご当地山代温泉での発表に先だって、前々夜には金沢の西のお茶屋で一足先にお披露目をした。山代から有志10名が、旅館のマイクロバスで駆けつけた。着流しに吉原かぶりの出で立ちで、三味を爪弾きながら石畳を流す岡本紋弥と千弥の二人。しっとりとした音色が茶屋街の風景に溶け込んでいく。座敷に上がって、いよいよ「山代お光」のお披露目。紋弥さんの艶のある裏声は、時に笑いを誘い、時にはしんみりと、お客を浄瑠璃の世界にゆっくりと引き込んでいった。
さて本番の山代では、魯山人いろは草庵から総湯へと、湯の曲輪(がわ)を流して、はづちを楽堂へ。山代での初のお披露目は、お座敷とは違う板の間。ピンとした空気が流れている。上調子の小川原隆弥を加えての三人。前日のお茶屋とはうって変わり、金屏風を背に紋付袴姿で、新内語り「山代お光」が始まった。やはり見せ場は、お光の哀れな最期、
「ようこそなぁ、こんな女に。わし、旦那さんの外套に包まれて、抱かれているような気がするだよ。これ、恋だろな。あたしは死んだら、旦那さんの傍らに居て、旦那さんの顔見たい......」
岡本紋弥さんの声はいっそう哀調を帯び、三味の音と溶け合って、山代の人々の心に染み込んでいった。三十分、たしかに鏡花の時代にタイムスリップした。「来年も、呼んでくれたら嬉しいなぁ」と、色っぽい裏声で挨拶する紋弥さん。ぜひ、ぜひ来年も山代で、みさごの鮨「お光」に会いたいねぇ。
(2006.11 M.O)