観光
TOP > 観光 > テーマ別コース > 大聖寺十万石大聖寺十万石
加賀百万石の支藩として栄えた大聖寺
前田家大聖寺藩主歴代の墓
加賀市大聖寺は前田家十万石・大聖寺藩の城下町だ。平成14年の大河ドラマ「利家とまつ」では加賀百万石で知られる金沢が舞台となったが、大聖寺藩はその金沢藩の支藩である。初代藩主は前田利治。金沢藩3代藩主前田利常の三男だ。以来14代、200年余りにわたって大聖寺藩はこの地を統治し、九谷焼の創始、絹織物の振興、北前船の繁栄などに大きな影響を及ぼした。
藩祖が眠る「萩の寺」
実性院(萩の寺)
JR大聖寺駅で下車して徒歩10分。大聖寺藩主の菩提寺である「実性院」に着く。本堂裏手の石段を登ると歴代藩主の墓碑がずらりと並び、なかでもひときわ大きく目立つのが藩祖・利治の墓である。そのそばに小さな3基の墓が寄り添うように建てられている。利治の死に殉じた3人の忠臣が主君の脇に葬られているのだ。
また、実性院は「萩の寺」としても知られ、晩夏から初秋にかけて白、赤、紫の花が咲き誇り訪れた人の目を楽しませる。
由緒ある寺院が並ぶまちなみを歩く
全昌寺の五百羅漢
実性院のある一帯は「山ノ下寺院群」と呼ばれ、その名の通り小高い山のふもとに各宗派の寺が建ち並ぶ。実性院から歩いて3分のところにある「全昌寺」は前田家の前にこの地を支配した山口家の菩提寺だ。北陸行脚を続けていた松尾芭蕉がここに加賀路最後の宿をとったことでも知られ、境内には「庭掃いて出でばや寺に散る柳」の句碑が建っている。
「全昌寺」でぜひ見ておきたいのは「五百羅漢」。幕末に武士や町人が寄進したもので500体すべてが揃った貴重なものだ。
九谷焼発祥の地の新名所
九谷焼美術館
「山ノ下寺院群」に隣接する「古九谷の杜公園」の一角に平成14年「九谷焼美術館」がオープンした。九谷焼は藩祖・利治が家臣・後藤才次郎に命じて造らせたのが始まりとされる。美術館には古九谷から再興九谷までの名品が「青手」「色絵・五彩」「赤絵・金襴」の3つの様式別に展示され、大聖寺藩と九谷焼の係わりについてもわかりやすく解説されている。
かつて戦場となった大聖寺
大聖寺城跡
「山ノ下寺院群」から、少し足を延ばして藩祖・利治を祀る江沼神社に向かう。途中左手に見える小高い山が大聖寺城址のある錦城山だ。関ヶ原の戦いが始まる直前の1600年、時の大聖寺城主・山口玄藩と金沢城主・前田利長との間に大聖寺城攻防戦が繰り広げられた。激戦の末、西軍方の山口勢は敗れ、以後、前田家は大聖寺に城代をおいたが一国一城令で廃城となった。1639年になって利治が初代大聖寺藩主として金沢藩から分封されたが、利治は城を造らず藩邸を現在の江沼神社の周辺に構えて支配した。
江戸時代の美意識が集結した長流亭
江沼神社
江沼神社は昭和9年の大聖寺大火でほとんどを焼失し後に建てなおされたが、武家庭園として復元された庭はぜひ見ておきたい。園内には大聖寺出身の作家・深田久弥の文学碑も建てられている。境内の一角にある長流亭は大聖寺藩3代藩主前田利直の休息所として作られ、大聖寺川のゆるやかな流れにあずまや造りの落ち着いた姿を映している。特に薄っすらと雪化粧したその姿は周囲の景観ともあいまって一服の絵に例えられる。
1709年以来290年余、火災、地震、水害などの被害を免れ建築時のままの姿を今に伝える。宝内の建具、書院構え、茶室など隅々にまで趣深い独特の工夫がこらされ、江戸中期の建築の特色を伝えるものとして重要文化財に指定されている。