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源平ゆかりの地

源平の熾烈な戦いを物語る遺跡をめぐって

篠原古戦場

源平の壮絶な戦いは今から800年余り前のことである。数々の悲劇と伝説を残し「盛者必衰」の歴史は、今もなお日本各地で語り継がれている。加賀市にも源平ゆかりの様々な史跡や伝説が残されている。

加賀温泉郷の片山津温泉街から北陸自動車道片山津インター方向に車を走らすと、柴山潟と日本海をつなぐ新堀川にかかる源平橋のたもとに、小さな池がある。池は雑木に周囲を囲まれ、中央には「首洗池」と刻まれた石碑が建っている。一帯は源平がかつて激しい合戦を繰り広げた「篠原古戦場」である。

芭蕉も句を詠んだ源平合戦の悲劇

加賀市から50キロほど離れた石川・富山県境の倶利伽藍峠で源氏と平家が戦ったのは1183年。この戦いで、木曽義仲の火牛の計にかかり大敗した平維盛の軍勢は、現在の加賀市篠原で陣を立て直し再び決戦に挑んだ。

しかし、敗色濃い平家軍。その軍勢の中に踏みとどまって果敢に戦う1人の武者がいた。この武者こそ、かつて幼少の木曽義仲をかくまって窮地を救った斉藤実盛だった。義仲は恩人である実盛を助けだすように命じていたが、70歳を超えていた実盛は老武者と侮られる事を恥と思い、白髪を黒く染めて出陣していた。しかし実盛は奮戦空しく源氏軍に討ち取られた。首を近くの池で洗ってみると、黒かった髪は洗い落とされて白くなり、そこで初めてこの武者が義仲の命を助けた実盛だったとわかった。義仲は涙ながらにこの首を葬り、実盛が身につけていた兜を神社に奉納したという。

実盛の兜

実盛の兜は、小松市の多太神社に保存され、年に一度の兜まつりに合わせて公開されている。北陸行脚で多太神社を訪れた松尾芭蕉は「むざんやな甲の下のきりぎりす」と詠んだ。首洗池のほとりにはその句碑が建っている。

実盛のなきがらが葬られたと伝わる地

実盛塚

首洗池から1キロほど離れたところに「実盛塚」がある。実盛のなきがらを葬ったところと伝えられる。今は老松が茂り、回りに垣根がめぐらされ、荘厳な雰囲気をかもし出している。1414年、遊行上人が篠原の地を訪れた際、実盛の亡霊が現れ救いを求めた。上人が回向すると、たちまち成仏したと伝えられている。謡曲「実盛」で広く知れ渡っている伝説です。

 

悲しい伝説が残る風光明媚スポット

尼御前岬

合戦の舞台ではないが、加賀市には源平にまつわる伝説の地がもうひとつある。橋立漁港に近い尼御前岬 だ。兄の源頼朝に追われ、都落ちした義経一行に同行した尼が、主人の無事を祈って身を投げたという悲しい伝説が残る。加賀の海岸には珍しく、切り立った岩盤と打ち寄せる波しぶきとのコントラストが美しい。北陸自動車道の尼御前サービスエリアの下り線からも遊歩道を通って出入りできるので、ドライブ途中の息抜きにぴったりのスポットだ。

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