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芭蕉の足跡

旅に生きた俳聖・松尾芭蕉

鶴仙渓にある芭蕉堂

「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」という有名な書き出しとともに『奥の細道』ははじまる。元禄2年(1689)、千住を出立した芭蕉は、東北をめぐったあと、金沢を経て、加賀地方を訪れている。

7月24日に小松に到着した芭蕉は、一泊のつもりが多くの人に引き止めれ26日まで滞在している。その際、開かれた句会で「しほらしき名や小松吹萩すすき」の句を残している。

むざんやな 甲の下の きりぎりす ―悲惨な戦争を物語る首洗池

首洗池

柴山潟にほど近いところに篠原古戦場がある。寿永2年(1183)、倶利伽羅の合戦で敗走する平家軍と木曽義仲の軍がここで激しく激突した。
かつて幼少の義仲の命を救った平家の老武者・斉藤別当実盛は、自ら白髪を黒く染め戦いに挑むが義仲軍の前に討死する。戦いのあと、ほとりの池で首を洗うと白髪が現れ、義仲ははじめて、命の恩人の実盛が討たれたことを知ったのだった。実盛の兜がまつられている小松市の多太神社を訪れた芭蕉が残した句、「むざんやな 甲の下の きりぎりす」の句碑が、池のほとりに建てられている。

日本屈指の名湯で、長旅の疲れをいやす名句が生まれた。

鶴仙渓

7月27日、山中温泉着。古くから知られた名湯で、芭蕉は8月5日まで滞在。「山中や菊は手折らじ湯の匂」は、かつて周の慈童が、菊の露を飲んで不老長寿を得たという伝説にちなんだ句。山中の湯に浸かれば、菊の露をのまずとも長寿を得られると称えている。
また、芭蕉は、山中を有馬、草津と並ぶ「扶桑三名湯」のひとつに数えている。逗留の間、芭蕉は鶴仙渓を散策し。薬師如来を祭る医王寺を参詣するなど、のんびりした時間を過ごしている。現在、鶴仙渓の一角には風流な芭蕉堂が安置されている。
このあと、芭蕉は、体調がすぐれない曽良と別れ、再び小松へ向かう。

紅葉が美しい奇岩おりなす名刹

那谷寺・奇岩遊仙峡

小松に向かう途中で那谷寺に参詣する。奈良時代に白山の開祖・泰澄法師によって開かれた古刹で、巨大な岩山である「奇岩遊仙峡」を囲むようにして、広大な敷地に、本殿、金堂華王殿、書院(国重要文化財)、三重塔(国重要文化財)、鐘楼(国重要文化財)など貴重な建立物が林立する。
那谷寺は紅葉の名所としても知られ、とくに奇岩遊仙峡の眺めは見事。ここでは芭蕉は、「石山の石より白し秋の風」の句を残している。境内には芭蕉句碑があるほか、直筆も残されている。

曽良と別れ、加賀路最後の宿に訪れる

全昌寺の五百羅漢

大聖寺に着いた芭蕉は、曽良と1日違いで五百羅漢で知られる全昌寺に泊まる。羅漢堂には、極彩色に飾られた517体の仏像が安置されている。翌日越前に出発した芭蕉は「庭掃いていでばや寺に散る柳」の句を残した。なお、芭蕉と曽良が泊まった部屋は現在茶室として復元されている。なお、芭蕉の館には、芭蕉に関する資料が数多く展示されている。

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